2008年03月13日

飯豊青皇女

いいとよあおのひめみこ。

飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ、允恭天皇29年(440年)? - 清寧天皇5年(484年)11月?)は、記紀に伝えられる5世紀末の皇族(王族)。履中天皇の皇女、または市辺押磐皇子の王女で、第22代清寧天皇の崩御後に一時政を執ったとされる。

飯豊皇女または飯豊王女と書かれることも多い。飯豊女王、飯豊王、飯豊郎女、青海皇女、青海郎女、忍海郎女、忍海部女王とも。(読みは、飯豊皇女・飯豊王女・飯豊女王・飯豊王はすべて「いいとよのひめみこ」。飯豊郎女は「いいとよのいらつめ」。飯豊青尊は「いいとよあおのみこと」。青海皇女は「あおみのひめみこ」。青海郎女は「あおみのいらつめ」。忍海郎女は「おしぬみのいらつめ」。忍海部女王は「おしぬみべのひめみこ」と読む)

「いひとよ」とは古語でフクロウのことをいい、古代ギリシアでは知恵の象徴であった。「おしぬみ」は葛城内の地名・忍海で、飯豊王の本拠地。忍海部は、飯豊王の子代(こしろ)の部民(べのたみ)であるが、単なる農民部ではなく漢人(あやひと)をかかえた雑工部(物品製造に携わる職工集団)でもあったらしい。「あをみ」は不詳(あるいは青海郎女の「青海」や飯豊青尊の「青」は福井県大飯郡高浜町内の地名かとも思われる)。 修二会の過去帳拝読で読まれる「青衣の女人(しょうえのにょにん)」や、葛城山の枕詞(木幡、忍坂山等にも掛かる)の「青旗」等、「青」の意味を考える価値はあると考えられる。

第22代清寧天皇と第23代顕宗天皇との間の期間、執政者だったと伝えられ、女帝の先駆的存在として注目される(時代的には、神功皇后と推古女帝をつなぐ位置にある)。『日本書紀』によると、男性と経験を持ったのは生涯1度だけであったという(格別に記紀には何も書かれてないがもしかしたら男勝りな性格だったのかも知れない)。

葛城埴口丘陵(かずらきのはにくちのおかのみささぎ、『延喜式』諸陵寮には埴口墓)に葬られた。同陵は奈良県葛城市北花内の北花内大塚古墳(前方後円墳・全長90m)に比定される。ただし『日本書紀』は「陵」と表記し、天皇扱いし、「墓」ではないことは注目される。
(以上、ウィキペディアより引用)

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